「病院のカスハラ対策」と言われても、「応招義務があるのに、どこまで対応すべきか」「診療を断れる場面はあるのか」と判断に迷う院長・事務長・看護師長は少なくありません。本記事では、正当なクレームとの線引きから、応招義務と診療拒否の考え方、発生時の初動対応フロー、そのまま使える院内掲示・基本方針の文例、義務化への備えまでを、病院・クリニックが明日から使える形で整理します。
この記事でわかること
- 病院のカスハラ対策として、まず何を整えればよいか
- 正当なクレームと毅然と対応すべきカスハラの線引き
- 応招義務と診療拒否の考え方、発生時の初動対応フロー
- 院内掲示・基本方針の例文と、記録の残し方
- クリニック・訪問看護での対応と2026年10月の義務化準備
病院のカスハラ対策とは、患者・家族や取引先などからの社会通念上許容される範囲を超えた言動(暴言・威圧・土下座の強要・不当な要求・長時間の拘束など)から職員を守るために、病院・クリニックとして方針・初動対応・記録・研修・外部連携の仕組みを整える取り組みです。患者・家族は指針上「施設利用者」として顧客等に含まれ、2026年10月1日からは従業員を雇用するすべての事業主に対し、カスハラ防止のための雇用管理上必要な措置が義務化されます。義務化で企業が整えるべき全体像は、別記事で詳しく解説しています。
カスハラ対策実務ガイド編集部の結論
編集部では、病院が最初に整えるべきものは、分厚いマニュアルではなく次の5点だと考えます。①病院として守る線引き(方針)、②現場が一人で抱え込まない初動フロー、③事実を残す記録の仕組み、④全職員への研修、⑤警察・弁護士・警備との外部連携。職員を守るのは経営層の責任であり、職員が暴言や暴力に耐える必要はありません。特に医療現場では、応招義務との関係で「どこまで対応すべきか」「診療を断れる場面はあるのか」で判断に迷いやすいため、「誰が判断するか」「どこで対応を切り替えるか」を事前に決めておくことが、職員保護と医療の質の両立につながります。なお本記事の編集部独自整理は、厚生労働省のガイドライン・通知等の公的情報をもとに、医療現場で実際に使いやすい形へ再構成したものです。
この記事の編集者
カスハラ対策実務ガイド編集部
カスハラ対策実務ガイドは、企業・店舗・現場担当者に向けて、カスタマーハラスメント対策に役立つ実務情報を発信するWebメディアです。編集部では、カスハラの基礎知識、社内体制づくり、従業員を守る対応手順、マニュアル整備のポイントなどを、現場で活用しやすい形でわかりやすくお届けしています。
病院のカスハラ対策でまず整えるべき5つの柱

カスハラ対策は、思いつきの対応ではなく組織の仕組みとして整えることが出発点です。ここでは何を備えるべきかという全体像を5つの柱で先に示し、詳しい手順は記事後半の各章に譲ります。
病院が行う対策は方針・窓口・記録・研修・外部連携の5つ
患者・家族からの著しい迷惑行為に組織として向き合うには、対応の土台となる仕組みをそろえる必要があります。個々の事案への対処を考える前に、まず次の5つの柱がそろっているかを点検してください。
- <方針>:毅然と対応し職員を守る姿勢を明文化する
- <窓口>:相談を受け止める担当と報告ルートを置く
- <記録>:事実を残す手段と保管方法を決めておく
- <研修>:全職員が同じ手順で動けるよう訓練する
- <外部連携>:警察・弁護士・警備と平時からつながる
これらは独自の分類ではなく、法令・指針が求める措置(方針の明確化と周知啓発、相談体制の整備、事後の迅速かつ適切な対応、悪質な事案への対処方針と体制整備、相談者のプライバシー保護、相談したこと等を理由とする不利益取扱いの禁止)を、病院の現場で運用しやすい形に落とし込んだものです。法令上の義務措置と自院の運用整理を混同しないよう意識すると、抜け漏れを防げます。
患者対応を個人任せにしないことが職員保護の出発点
カスハラ対策で最も避けたいのは、現場の職員一人に判断と我慢を背負わせることです。受付や外来で理不尽な要求を受けた職員が、上長に相談できず抱え込んでしまうと、対応の質が下がるだけでなく、心身の不調や離職に直結します。誰が二次対応に入るか、どの時点で上長や警備に引き継ぐかをあらかじめ決め、「困ったら一人で抱えない」ことを組織のルールにしておくことが、職員を守る最初の一歩です。
病院・クリニック・訪問看護で対策範囲を分けて考える
同じ医療機関でも、規模や提供形態によって備えるべき範囲は変わります。最終判断者の置き方や、現場の物理的なリスクが異なるためです。自院がどの類型に近いかを意識して読み進めてください。
| 提供形態 | 主な判断者 | 特に重視する対策 |
|---|---|---|
| 病院 | 院長・各部門長の連携体制 | 部門横断の報告ルートと警備連携 |
| クリニック | 院長または管理者が最終判断 | 少人数でも回る複数名対応の工夫 |
| 訪問看護 | ステーション管理者 | 単独訪問のリスク管理と防犯機器 |
とくに訪問看護は職員が一人で利用者宅に入る場面が多く、院内とは別の防犯対策が必要です。詳細は外部連携の章で扱います。
病院のカスハラ対策が必要とされる背景と医療現場の現状

「うちはそこまでひどくないから」と先送りにしている病院ほど、いざという時に対応できません。発生しやすい背景・離職への影響・義務化という3つの角度から、なぜ今着手すべきかを整理します。
医療現場でペイシェントハラスメントが起きやすい背景
医療現場では、患者・家族から医療従事者への著しい迷惑行為を「ペイシェントハラスメント」と呼ぶこともあります。医療現場は、患者や家族が不安・痛み・喪失感といった強い感情を抱えた状態で訪れる場であり、待ち時間や検査結果、費用などをめぐって緊張が生じやすい環境です。命や健康に関わるからこそ要求がエスカレートしやすく、さらに医療には応招義務があるため、職員側が「断れないのではないか」とためらい、結果として理不尽な言動を受け続けてしまいやすい構造的な事情もあります。
職員の離職やメンタル不調が医療の質に与える影響
暴言や過剰な要求を受け続けた職員は、出勤そのものが憂うつになり、集中力の低下や不眠などの不調を抱えることがあります。一人が疲弊して離職すると、残った職員の負担が増え、さらなる離職を招く悪循環に陥りかねません。慢性的な人手不足が続く医療現場では、こうした連鎖は人員配置だけでなく、安全確認や患者対応の丁寧さといった医療の質そのものを損なうおそれがあります。職員を守ることは、結果として患者に提供する医療の質を守ることにつながります。
義務化で病院の対応は努力から雇用管理上の措置へ変わる
これまで医療機関のカスハラ対策は、各院の自主的な取り組みに委ねられてきました。しかし2025年6月11日に公布された改正労働施策総合推進法(厚生労働省)により、カスハラ防止のための雇用管理上の措置が事業主の義務となりました。施行日は2026年10月1日で、対象は従業員を1人でも雇用するすべての事業主。規模の小さなクリニックも例外ではありません。具体的な措置内容を定めた指針(令和8年厚生労働省告示第51号)も令和8年2月26日に公布され、「顧客等」に病院などの施設利用者やその家族が含まれることが明記されています。従業員を一人でも雇用していれば対象となるため、規模の小さなクリニックも例外ではありません。
病院のカスハラ対策は正当なクレームとの線引きから始まる

すべての苦情がカスハラではありません。対策の第一歩は、改善につながる正当なクレームと、毅然と対応すべきカスハラを見分ける軸を持つことです。
正当な申入れ・合理的配慮と毅然と対応すべきカスハラの違い
不満や要望が示されたという事実だけで、直ちにカスハラと決めつけてはいけません。診療内容の説明を求めることや待ち時間を確認することは正当な申入れであり、障害の特性に応じた説明方法を求めることは合理的配慮の申出になり得ます。問題は、その要求の手段や態様が社会通念上の許容範囲を超えたときに、クレームがカスハラへと変わる点にあります。下の表で両者の違いを整理します。
| 判断軸 | 正当な申入れ・配慮の要望 | カスハラの可能性が高い例 |
|---|---|---|
| 要求内容 | 診療内容や治療方針の説明を求める | 土下座、過大な金銭補償、個人情報の要求 |
| 手段・態様 | 冷静な確認、待ち時間の問い合わせ | 暴言、威圧、長時間拘束、無断撮影 |
| 継続性 | 一度の申し入れ | 何度説明しても繰り返す |
| 業務影響 | 通常対応の範囲 | 他の患者対応や診療に支障が出る |
大切なのは、要求を頭から拒むことではなく、建設的な対話を保ちながら、手段・態様が一線を越えたときに対応を切り替えることです。カスハラ全般の定義や企業が整えるべき対策の全体像は、カスハラ対策とは?正当なクレームとの違いで詳しく整理しています。
カスハラに該当するか判断する3つの要素
厚生労働省は、カスハラを次の3つの要素で定義しています。判断に迷ったときは、この3点に当てはめて考えると整理しやすくなります(参考:政府広報オンライン「カスハラとは?義務化されるカスハラ対策」)。
- <①顧客等の言動>:患者・家族や取引先など、事業に関係する者による言動である
- <②社会通念上の範囲を超える>:要求内容や手段が常識的な範囲を逸脱している
- <③就業環境が害される>:その言動により職員の働く環境が損なわれている
3つすべてを満たす場合がカスハラにあたります。病院の場合、患者やその家族は「施設利用者」として顧客等に含まれます。なお、要求内容と手段・態様のどちらか一方が許容範囲を超えるだけでも、カスハラに該当し得るとされています。
医療機関で多いカスハラの類型と具体例
現場で判断しやすいよう、医療機関で見られる代表的な類型と具体例、初期の対応方針を整理します。実際の対応は状況により異なるため、自院のマニュアルに合わせて調整してください。
| 類型 | 具体例 | 初期対応の方向性 |
|---|---|---|
| 暴言型 | 怒鳴る、人格を否定する | 複数名で対応し、発言内容を記録する |
| 長時間拘束型 | 長電話、受付への居座り | 対応時間を区切り、退去を求める |
| 権威・強要型 | 院長を出せ、土下座を求める | 不当な要求には応じず上長が交代 |
| 暴力・脅迫型 | 殴る、物を投げる、脅す | 安全確保を最優先し警察へ通報 |
| ネット中傷型 | 虚偽の口コミ投稿 | 証拠を保全し弁護士に相談 |
病院のカスハラ対策で重要な応招義務と診療拒否の考え方

「暴言を吐く患者でも診なければならないのか」。最も悩ましいこの問いに、応招義務の正しい理解から答えます。断定を避け、慎重に判断するための考え方を整理します。
応招義務とは何か(応召義務とも表記)
応招義務とは、医師法(e-Gov法令検索)第19条第1項に定められた「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」とする義務です。「応召義務」と表記されることもありますが、同じ内容を指します。これは国に対する公法上の義務であり、違反に対する刑事罰は定められていません。ただし、正当な理由なく診療を拒んで患者に損害が生じた場合には、民事上の賠償責任を問われる可能性があるため、安易な拒否はリスクを伴います。
緊急性がある患者への対応は慎重に判断する
診療に応じないことが正当化されるかどうかを判断する際、厚生労働省の令和元年12月25日の通知(医政発1225第4号・PDF)は、最も重要な考慮要素を「患者について緊急対応が必要か否か(病状の深刻度)」としています。緊急性が高く、診療しなければ病状が悪化するおそれがある場合には、たとえ信頼関係を損なう事情があっても、診療を行わないことは正当化されにくくなります。迷惑行為があったとしても、まずは安全確保と必要な医療提供を優先するという姿勢が出発点です。
信頼関係が失われた場合に診療しない対応が許されるケース
同通知では、緊急対応が不要な場合に限り、診療時間内か否かや、患者と医療機関との信頼関係も考慮要素になるとされています。診療内容と関係のないクレームを執拗に繰り返すなどして、診療の基礎となる信頼関係が失われていると判断できるときは、新たな診療を行わないことが正当化され得ると整理されています。ただし、これは「診療拒否できる」と断定できるものではなく、迷惑行為の程度・被害状況・常習性などを総合的に見て慎重に判断すべきものです。判断に迷う場合は顧問弁護士に相談しながら進めてください。
診療拒否を検討する前に記録・説明・代替案を残す
診療を見合わせる判断を検討する前に、後から正当性を説明できる材料をそろえておくことが実務上重要です。具体的には、いつ・どのような言動があったかという事実の記録、患者への説明の経過、そして他の医療機関への紹介状の交付など代替手段を講じた記録を残します。カスハラ対応として重要なのは「診療を断るかどうか」だけではなく、緊急性を確認したうえで、必要な医療提供・安全確保・転医や紹介などの代替手段をどこまで尽くしたかを、後から説明できる状態にしておくことです。正当な理由のない一方的な拒否は避け、手続きを尽くす姿勢を保ってください。
病院でカスハラが発生したときの初動対応フロー

「いま受付で怒鳴られたら誰がどう動くのか」。検索者が最も知りたい初動を、安全確保から記録まで順を追って具体化します。
職員と周囲の患者の安全を最優先に確保する
最初に優先すべきは、対応している職員と、その場に居合わせた他の患者の安全です。相手が興奮している場合は、周囲の患者から距離を取れる面談スペースへ誘導します。ただし、密閉された個室で職員が一人きりになる状況は避け、出口を確保したうえで、必ず複数名で対応します。暴力のおそれがある場合は無理に個室へ誘導せず、警備担当や警察への連絡を優先してください。安全が確保できていない状態で要求の中身を議論しても、解決にはつながりません。
対応者を1人にせず上長・警備・医療安全部門へ引き継ぐ
カスハラへの対応は、常に複数名で行い、最初に対応した職員を一人にしないことを徹底します。一次対応者がそのまま矢面に立ち続けると、冷静な判断が難しくなり、心理的負担も大きくなります。一定のラインを越えたと感じた時点で、上長や医療安全管理部門、必要に応じて警備担当へ速やかに引き継ぎ、対応者を交代させます。誰が二次対応者になるかをあらかじめ決めておくと、現場が迷わず動けます。
暴力・脅迫・不退去は警察への通報を迷わない
相手の言動が犯罪に該当し得る場合は、ためらわず警察へ通報します。判断材料として、退去を求めても居座り続ける行為は不退去罪、業務を妨げる行為は業務妨害罪、殴る・物を投げるなどの行為は暴行罪に当たり得ることを知っておくと、現場で通報の判断がしやすくなります。これは相手を脅すためではなく、職員と他の患者を守るための正当な手段です。通報の判断基準をマニュアルに明記しておきましょう。
録音・録画・時系列メモで事実を記録する
対応と並行して、事実を客観的に残すことが後の対応を大きく左右します。発言の録音や面談室の録画、そして「いつ・誰が・何を言い、どう対応したか」を時系列で記したメモを残します。録音・録画を行う場合は、職員の安全確保と事実確認という目的を明確にし、取得したデータの閲覧権限・保存期間・保管場所を院内ルールで定めます。医療機関では他の患者の個人情報や診療情報が含まれる可能性もあるため、目的外利用を避け、運用に不安があれば顧問弁護士に確認したうえで進めましょう。
病院のカスハラ対策に必要なマニュアルと組織体制

場当たり的な対応を防ぐには、文書と体制の整備が欠かせません。方針・場面別フロー・報告ルート・記録の使い分けを具体的に示します。
基本方針を明文化し院内・院外へ周知する
対策の土台となるのが、組織としての基本方針です。患者には誠意をもって向き合いつつ、職員の人格を否定する言動や暴力には毅然と対応する、という姿勢を文章にして示します。明文化された方針は、職員に「組織が守ってくれる」という安心感を与え、患者・家族にも院の立場を伝える役割を果たします。方針は院内に掲示するだけでなく、ホームページなどで院外へも周知すると効果的です。具体的な掲示文例は後述します。
受付・外来・病棟・電話対応ごとの対応フローを作る
カスハラが起きる場面は窓口によって異なるため、一律のマニュアルでは現場が動きにくくなります。下表のように、どの場面でどんな行為が起きやすく、誰が初動を担うかを整理しておくと実用的です。初動から責任者対応までの流れを文書化する場合は、カスハラ対応マニュアルの作り方でフローやエスカレーション表の作成手順を確認できます。
| 場面 | 起きやすいカスハラ | 初動対応 |
|---|---|---|
| 受付 | 待ち時間・費用への暴言 | 一次対応を区切り、事務長・上長へ引き継ぐ |
| 外来 | 診療内容への不満、医師要求 | 医師だけに背負わせず看護師長・医事課と連携 |
| 病棟 | 面会制限・説明要求への反発 | 病棟責任者と医療安全部門で対応 |
| 電話 | 長時間拘束、繰り返し架電 | 対応時間を区切り、記録して折り返し基準を決める |
| 訪問看護 | 密室環境での暴言・威圧 | 訪問前リスク判定、複数名訪問、防犯機器の携行 |
新人でも同じ手順で動けるよう、判断のポイントを箇条書きやフロー図で示しておくと、現場の迷いを減らせます。
関係部門が連携する相談窓口と報告ルートを明確にする
相談窓口は院長一人に集中させるのではなく、院長・事務長・看護部・医療安全管理者・総務人事が連携する体制として描くのが望ましい形です。被害を受けた職員が誰に相談すればよいか、その後どの会議体で事実確認と対応方針を決めるかという報告ルートを明確にします。クリニックのように人員が限られる場合は、院長または管理者が最終判断者となる前提で、簡潔な相談・報告の流れを定めておきます。
カルテ・インシデント報告・相談記録を使い分ける
記録は目的に応じて使い分けることが重要です。カルテには診療上必要な事実に限って記載し、主観的な評価や人格批判は書きません。事案の経過や組織的な対応はインシデント報告書に、職員からの相談内容は相談記録に残します。警察や弁護士への相談に備えたメモは別に整理しておくと、いざというときに事実を時系列で説明できます。どの記録に何を書くかを決めておくことで、記録の漏れや不適切な記載を防げます。
義務化に備える病院のカスハラ対策5つのステップ

2026年10月の義務化までに、何をどの順番で進めればよいのか。実装の手順を5つのステップに落とし込みます。
ステップ1:発生状況を把握しリスクを洗い出す
まず、自院でどのようなカスハラが、どの窓口で起きているかを把握します。職員へのヒアリングや簡単なアンケートで、これまで個人が抱え込んでいた事案を可視化し、受付・外来・電話・訪問といった場面ごとのリスクを洗い出します。現状が見えなければ、有効な対策の優先順位は立てられません。
ステップ2:方針・規程・マニュアルを文書化する
洗い出したリスクをもとに、基本方針、就業規則やハラスメント防止規程、場面別の対応マニュアルを文書として整えます。指針が求める「毅然と対応し職員を守る方針の明確化と周知」を満たす内容にし、悪質な事案への対処方針もあらかじめ盛り込みます。
ステップ3:相談窓口と報告ルートを設置する
職員が安心して相談できる窓口を設け、誰に・どう相談し、その後どう対応が決まるかを周知します。既存のハラスメント相談窓口と統合しても構いません。実際に被害が出た場合だけでなく、発生のおそれや判断に迷うケースでも相談できる体制にしておくことが求められます。
ステップ4:全職員への研修とロールプレイを実施する
文書を整えても、現場で使えなければ意味がありません。全職員を対象に、カスハラの判断基準、初動の手順、患者への接し方を学ぶ研修を行います。暴言や居座りなど具体的な場面を想定したロールプレイを取り入れると、いざというとき体が動くようになります。厚生労働省は医療現場向けの暴力・ハラスメント対策の教材(e-ラーニング)を公開しており、院内研修にそのまま活用できます。外部研修の選び方や費用感は、カスハラ研修おすすめ7選と選び方で比較できます。
ステップ5:発生事案を記録・検証し再発防止につなげる
発生した事案は記録して終わりにせず、定期的に検証し、対応の良かった点と課題を振り返ります。その結果をマニュアルや研修内容の見直しに反映し、改善を続けることで、対策は形だけのものにならず実効性を保てます。
病院で使えるカスハラ対策の方針・院内掲示の例文
「そのまま使える文面が欲しい」という声に応え、患者・家族向けの基本方針、院内掲示の禁止行為、ホームページ掲載の注意書きを用意しました。自院の実情に合わせて調整してください。
患者・家族向けに掲示する基本方針の例文
待合室などに掲示する基本方針は、患者を尊重する姿勢と、職員を守る毅然とした姿勢の両方を示すことが大切です。より詳しい文例は、カスハラ対応方針の例文テンプレートでも紹介しています。
基本方針の掲示文例
当院は、患者さんお一人おひとりに誠実に向き合い、質の高い医療の提供に努めています。一方で、職員の人格を否定する言動、暴力、迷惑行為など、職員の尊厳を傷つける行為に対しては、誠意をもって対応しつつも、毅然とした態度で臨みます。なお、暴力、暴言、脅迫、長時間の拘束、職員へのつきまとい、無断撮影、SNS等での誹謗中傷など、診療環境や職員の就業環境を著しく害する行為が確認された場合には、診療の継続を含めた対応を慎重に検討し、必要に応じて警察・弁護士等の外部機関と連携します。すべての患者さんに安心して医療を受けていただくため、皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。
「診療を拒否します」と断定せず、「診療の継続を含めた対応を慎重に検討します」とする点が、応招義務との関係で重要です。
院内掲示に入れるべき禁止行為の例
抽象的な方針だけでなく、何が禁止されるのかを具体的に示すと、抑止力が高まります。掲示に盛り込む禁止行為の例は次のとおりです。
- 大声・暴言・人格を否定する言動
- 暴力や、物を投げるなどの威圧的な行為
- 長時間の居座りや、繰り返しの電話による拘束
- 土下座や金銭など、不当な要求の強要
- 職員へのセクハラ・つきまとい、個人情報の聞き出し、無断撮影
- 他の患者への迷惑行為、SNS・口コミでの虚偽投稿や誹謗中傷
あわせて、悪質な場合は警察・弁護士に相談する旨を添えておくと、抑止につながります。
ホームページ掲載時に入れるべき注意書き
院内掲示と同じ方針をホームページにも掲載しておくと、来院前から院の姿勢を伝えられます。掲載時には、職員を守るための方針であること、迷惑行為には毅然と対応すること、悪質な行為には警察や弁護士と連携して対応する場合があることを、患者を萎縮させない丁寧な表現で記載します。正当な相談や要望は引き続き歓迎する旨を併記すると、誤解を防げます。
病院のカスハラ対策を支える外部連携と職員ケア
院内の体制だけでは守りきれない場面があります。外部との連携と、被害を受けた職員へのケアを整えます。
弁護士・警察・警備会社と連携体制をつくる
深刻な事案では、院内だけで抱え込まず外部の力を借りることが職員を守ります。あらかじめ顧問弁護士、最寄りの警察署、警備会社と連絡先や相談ルートを整理しておき、緊急時にすぐ連携できる状態にしておきます。とくにカスハラに当たるか判断に迷う事案や、診療継続の可否が問題になる事案は、弁護士に早めに相談することで、組織として適切な判断を下しやすくなります。
訪問看護師の安全を守る防犯機器と補助金を活用する
訪問看護では職員が一人で利用者宅に入るため、院内とは別の備えが必要です。厚生労働省「医療現場及び訪問看護における暴力・ハラスメント対策について」では、訪問看護師のセキュリティ確保に必要な防犯機器として、位置検索機能・緊急呼び出し機能付きの防犯ブザーや、防犯ボタン付き携帯電話などが挙げられています。これらの整備には、地域医療介護総合確保基金による補助が活用できる場合があるため、事業所所在の都道府県に相談するとよいでしょう。あわせて、訪問前のリスク判定、複数名訪問の基準、状況に応じた訪問の中止や警察相談の基準を定めておくと、現場の判断がぶれません。
被害を受けた職員のメンタルケアと復帰支援を行う
カスハラ対応の最後の要は、被害を受けた職員へのケアです。相談したこと自体を理由に不利益な取扱いをしないことを明確にし、心身に不調の兆しがある場合は産業医やカウンセラーなど専門家につなぎます。一時的に担当を変える、業務を調整するなどの配慮を行い、安心して職場に戻れるよう復帰を支えます。裁判事例や他社の取組はあかるい職場応援団(厚生労働省)でも確認でき、職員を大切にする姿勢が伝わることが、長期的にはカスハラに強い組織をつくります。
病院のカスハラ対策チェックリスト
義務化までに自院の準備状況を点検できるよう、これまでの要点をチェックリストにまとめました。施行前の最終確認にご活用ください。
- カスハラに毅然と対応し職員を守る方針を明文化している
- 患者・家族向けの院内掲示やホームページ掲載を整備している
- 相談窓口と報告ルートを職員に周知している
- 受付・外来・病棟・電話・訪問看護ごとの初動フローがある
- 録音・録画・時系列メモなど記録方法と運用ルールを決めている
- 悪質事案の警察・弁護士への相談基準を定めている
- 相談者のプライバシー保護と不利益取扱いの禁止を明記している
- 全職員向けの研修・ロールプレイを実施している
義務化までに最低限そろえるべき書類や体制を確認したい場合は、カスハラ対策義務化の準備手順もあわせて確認してください。
病院のカスハラ対策に関するよくある質問
現場でよく寄せられる疑問に、要点を絞って回答します。個別の法的判断が必要な場合は、弁護士など専門家への相談をおすすめします。
病院はカスハラ患者の診療を拒否できますか
一律に拒否できるわけではありません。最も重要なのは緊急対応の要否で、緊急性があれば原則として必要な医療を提供します。緊急性がなく、診療の基礎となる信頼関係が失われていると判断できる場合に、診療を行わないことが正当化され得ます。判断は慎重に行い、顧問弁護士に相談してください。詳しくは応招義務の章をご覧ください。
患者や家族の暴言は録音してもよいですか
職員の安全確保や事実確認という正当な目的のための録音は、許容され得ると考えられます。ただし、取得したデータの閲覧権限・保存期間・保管場所を院内ルールで定め、他の患者の個人情報や診療情報が含まれる場合の目的外利用を避けることが重要です。運用に不安があれば、顧問弁護士に確認したうえでマニュアルに定めておきましょう。
カスハラの内容をカルテに記録してもよいですか
診療上必要な事実に限って記載することは差し支えありません。ただし、主観的な評価や人格を批判する表現は避けてください。経過や組織的な対応はインシデント報告書や相談記録に分けて残すと、記録を適切に使い分けられます。
警察を呼ぶ基準はどこにありますか
相手の言動が犯罪に該当し得るかどうかが目安です。退去を求めても居座る、業務を妨げる、暴力をふるう、脅すといった行為は、不退去罪・業務妨害罪・暴行罪・脅迫罪などに当たり得ます。職員や他の患者の安全が脅かされる場面では、通報をためらわないことが大切です。
クリニックでもカスハラ対策は義務化の対象ですか
対象です。義務化は従業員を一人でも雇用する事業主に適用され、規模による猶予はありません。クリニックの場合は、院長または管理者を最終判断者とした簡潔な方針・窓口・記録・研修・連携の仕組みを整えておきましょう。
まとめ:病院のカスハラ対策は方針・初動・記録から始めよう
病院のカスハラ対策は、完璧なマニュアルがなくても始められます。大切なのは、正当な申入れや合理的配慮はしっかり受け止めつつ、社会通念を超えた言動には毅然と対応するという線引きです。応招義務には配慮しつつ、緊急性や信頼関係を踏まえて慎重に判断し、初動では安全確保と複数名対応、記録を徹底しましょう。2026年10月には全事業主に対策が義務付けられますが、身構える必要はありません。まずは「方針を明文化する」「初動から打ち切りまでの対応フローを決める」「記録の様式を1枚用意する」——この3点から着手しましょう。職員を守ることは医療の質を守ることに直結します。その姿勢を仕組みにすることが、働きやすい職場と安定した経営への第一歩になります。
参考情報・編集部注記
編集部注記
本記事では、公的情報に基づく解説に加え、カスハラ対策実務ガイド編集部が医療現場向けに、判断軸・初動フロー・掲示文例・記録の考え方として再整理しています。診療拒否・退去要請・記録の可否など個別事案の法的判断については、顧問弁護士・社会保険労務士等の専門家にご相談ください。法令・指針の最新情報は厚生労働省の公表資料をご確認ください。
本記事は、以下の公的情報をもとに作成しています。
- 厚生労働省「職場におけるハラスメントの防止のために」(令和7年改正・令和8年10月1日施行/指針:告示第51号)
- 厚生労働省「令和7年労働施策総合推進法等の一部改正について」
- 厚生労働省「応招義務をはじめとした診察治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」(令和元年12月25日 医政発1225第4号・PDF)
- 医師法(e-Gov法令検索)
- 厚生労働省「医療現場における暴力・ハラスメント対策」教材(e-ラーニング)
- 厚生労働省「医療現場及び訪問看護における暴力・ハラスメント対策について」(防犯機器・地域医療介護総合確保基金)
- 政府広報オンライン「カスハラとは?法改正により義務化されるカスハラ対策の内容」
- あかるい職場応援団(厚生労働省)
カスハラ対策実務ガイド 
