「利用者や家族からの暴言・暴力に、職員が一人で耐えている」「2026年10月の義務化に向けて、何から手をつければいいのか分からない」——介護施設の管理者にとって、こうした悩みは決して珍しいものではありません。カスハラを現場の職員任せにすると、精神疾患や離職を招くだけでなく、施設側が安全配慮義務違反として損害賠償を問われるリスクもあります。本記事では、カスハラとBPSD・正当な苦情との線引きから、被害発生時の初動5ステップ、契約解除・退去の進め方、重要事項説明書・利用契約書の文例、義務化への備えまでを、施設長が明日から使える形で整理します。
この記事でわかること
- 介護施設のカスハラ対応として、まず何を整えればよいか
- カスハラとBPSD・正当な苦情・料金滞納の線引き
- 被害発生時の初動5ステップと記録の残し方
- 契約解除・退去の進め方と裁判例から学ぶポイント
- 重要事項説明書・利用契約書・ポスターの文例と義務化対応
介護施設のカスハラ対応とは、利用者やその家族等による社会通念上許容される範囲を超えた言動(暴力・暴言・セクハラ・過剰要求・長時間拘束など)から職員を守るために、施設として方針・初動対応・記録・契約上の備えを整える取り組みです。2026年10月1日からは、職員を雇用するすべての事業主に対し、カスハラ防止のための雇用管理上必要な措置が義務化されます。義務化で企業が整えるべき全体像は、カスハラ対策義務化で企業がやるべき5つの措置で詳しく解説しています。
カスハラ対策実務ガイド編集部の結論
編集部では、介護施設が最初に整えるべきものは、分厚いマニュアルではなく次の4点だと考えます。①職員の安全確保を最優先する初動、②現場が一人で抱え込まない組織対応、③事実を残す記録の仕組み、④重要事項説明書・利用契約書への落とし込み。職員を守るのは施設・運営法人の責任であり、職員が暴言や暴力に耐える必要はありません。特に、利用者の生活の場であり、家族が面会・電話で継続的に関わる入所施設では、「誰が判断するか」「どこで組織対応へ切り替えるか」を事前に決めておくことが、職員保護と質の高い介護の両立につながります。なお本記事の編集部独自整理は、厚生労働省「介護現場におけるハラスメント対策マニュアル」等の公的情報をもとに、介護施設の現場で実際に使いやすい形へ再構成したものです。
この記事の編集者
カスハラ対策実務ガイド編集部
カスハラ対策実務ガイドは、企業・店舗・現場担当者に向けて、カスタマーハラスメント対策に役立つ実務情報を発信するWebメディアです。編集部では、カスハラの基礎知識、社内体制づくり、従業員を守る対応手順、マニュアル整備のポイントなどを、現場で活用しやすい形でわかりやすくお届けしています。
介護施設のカスハラ対応の全体像がわかる早見表
緊急の場面でまず確認したいのは「いま、何をするか」です。状況別の初動と管理者の動き、外部連携先を一覧にまとめましたので、最初にこの早見表で全体像をつかんでください。
状況別の初動対応と管理者の判断ポイントを早見表で確認する
カスハラの内容によって、現場の動き方も連携先も変わります。次の早見表は、代表的な4つの状況について「現場がまずやること・管理者の対応・外部連携先」を整理したものです。
| 状況 | まずやること | 管理者の対応 | 外部連携 |
|---|---|---|---|
| 暴力・物を投げる | 職員を離す・安全確保 | 記録・家族連絡 | 必要に応じて警察・医療 |
| 暴言・人格否定 | 1人対応を避ける | 面談・警告 | 法人本部・弁護士 |
| セクハラ | 担当変更・同性介助検討 | 本人・家族へ説明 | ケアマネ・医師・弁護士 |
| 家族の過剰要求 | 窓口を一本化 | 要求範囲を明確化 | 行政・弁護士 |
どの状況にも共通する大原則は2つです。第一に、職員の身の安全の確保が最優先であること。第二に、その場で職員個人に判断させず、組織としての対応に切り替えることです。被害を受けた職員がその場で謝罪や約束を求められても、即答させず「施設として確認のうえ回答します」と引き取る——この一線を全職員で共有しておくだけで、要求のエスカレートを大きく防げます。
介護施設のカスハラ対応で最初に押さえる基礎知識

適切に対応するには、まず「何がカスハラで、何がカスハラでないか」を施設として正しく線引きできることが出発点になります。ここでは定義・種類・区別の考え方を整理します。
カスハラとは利用者・家族等による就業環境を害する言動を指す
カスタマーハラスメントとは、顧客や施設の利用者などによる、社会通念上相当な範囲を超えた言動によって、労働者の就業環境が害されるものを指します。介護施設の文脈では、その「顧客」にあたるのが利用者本人とその家族等です。つまり、サービスを受ける側からの言動であっても、社会通念上の許容範囲を超えていれば、施設として対処すべきカスハラになり得ます。
重要なのは、サービス業特有の「お客様だから我慢すべき」という発想を持ち込まないことです。改正法は、こうした言動を放置せず施設が組織として対応することを求めており、ここを職員任せにすること自体が問題だと位置づけられています。なお、カスハラ全般の定義や正当なクレームとの違いを基礎から整理したい場合は、カスハラ対策の基本(定義・具体例・対応手順)もあわせて確認してください。
身体的暴力・精神的暴力・セクハラの3種類に整理できる
厚生労働省「介護現場におけるハラスメント対策」の対策マニュアルでは、介護現場のカスハラを大きく3種類に整理しています(マニュアル本体・PDF)。自施設で起きていることがどれにあたるかを見極めると、初動の選び方が明確になります。
- <身体的暴力>:物を投げる・殴る・蹴る・噛みつくなど身体への危害
- <精神的暴力>:大声で怒鳴る、人格を否定する暴言、理不尽な要求
- <セクハラ>:不必要に身体へ触れる、性的な発言を繰り返す言動
とりわけ介護施設は、身体に直接触れる介助の場面が多く、女性職員が多い職場も少なくないため、セクハラ被害への備えも重要です。介助という密室性の高い場面で起きやすいことを、管理者は前提として認識しておく必要があります。
BPSDによる言動はカスハラと区別し医療的ケアで対応する
高齢者の場合、認知症の行動・心理症状(BPSD)として暴言・暴力・もの盗られ妄想などが現れることがあります。これらは、通常のカスハラと同じ枠組みで一律に扱うのではなく、医療的ケアやケアプランの見直しとあわせて対応する必要があります。原因が病気の症状であれば、警告や契約解除を前提とした対応にそのまま乗せるのは適切ではありません。
ただし、これは「BPSDだから職員が我慢すべき」という話ではありません。原因が病気であっても、職員の安全確保・記録・担当変更・複数名対応は必要です。医師・看護職・ケアマネジャー・家族と連携してケアプランを見直し、同じ職員に負担が集中しないよう交代制で担当を分散させる——この両立が求められます。なお、カスハラか病気による言動かの判断は施設だけで抱え込まず、かかりつけ医やケアマネジャーの意見も確認したうえで行うのが安全です。ハラスメントがあれば直ちにサービス提供を拒否できるわけではない点は、厚生労働省のサービス提供困難事例に関する考え方も参照してください。次の表で、混同しやすい4つの類型の違いを整理します。
| 類型 | 原因・本質 | 一次対応 | 主な連携先 |
|---|---|---|---|
| カスハラ | 相当な範囲を超えた言動 | 組織対応・警告 | 法人本部・弁護士 |
| BPSD | 認知症等の症状 | 医療的ケア・ケア見直し | 医師・看護・ケアマネ |
| 正当な苦情 | 施設側の落ち度 | 謝罪・改善・教育 | 施設内・必要時専門家 |
| 料金滞納 | 債権回収の問題 | 支払請求・契約確認 | 弁護士・債権回収 |
正当な苦情や料金滞納はカスハラと分けて考える
職員の対応に落ち度があった場合の指摘は「正当な苦情」であり、当然カスハラではありません。施設側に過失があるときは、職員間で問題を共有し、指導・教育を徹底して改善に向けて動く必要があります。また、利用料金の滞納そのものは債権回収の問題であって、滞納=カスハラではありません。
もっとも、正当な苦情なのか過剰な要求なのか、判断が難しいケースは少なくありません。下の判断表は、迷ったときに立ち止まって確認するための目安です。判断を誤って強硬に対応すると問題をこじらせるため、線引きに迷う場合は早めに弁護士など専門家へ相談するのが安全です。
| 判断の観点 | カスハラに該当しやすい | カスハラに該当しにくい |
|---|---|---|
| 言動の内容 | 人格否定・暴力・性的言動 | 事実に基づく改善要望 |
| 要求の範囲 | 契約外・過剰な要求 | 契約内・合理的な範囲 |
| 手段・態様 | 長時間拘束・威圧・反復 | 1回限りの冷静な指摘 |
| 施設側の落ち度 | 落ち度がないのに攻撃 | 施設側にミスがある |
正当なクレームとカスハラの線引きをより詳しく確認したい場合は、正当なクレームとカスハラの違いを解説した記事も参考になります。
介護施設のカスハラ対応に役立つ実際の事例

具体的にどのような行為が問題になるのかを、利用者本人・家族・施設特有の難しさの3つの角度から見ていきます。自施設の状況と照らし合わせてみてください。
利用者本人による暴力・暴言・セクハラの事例
厚生労働省の事例集や介護現場の報告では、利用者本人による次のような行為が確認されています。塩の入った容器を投げつけられる、手に噛みつかれるといった身体的暴力。特定の職員に向けて身体的特徴を揶揄する暴言を繰り返す精神的暴力。そして、陰部の洗浄に関して性的な発言を強要する、職員の身体に不必要に触れるといったセクハラです。
これらは「介助の延長」と曖昧に処理されがちですが、社会通念上の範囲を超えていれば明確にカスハラです。介助という密室性の高い場面で起きやすいため、同性介助の検討や複数名対応など、現場の運用で予防できる余地が大きいのが特徴です。
家族による過剰要求や長時間拘束の事例
介護施設では、行為者が利用者本人ではなく家族であるケースが目立ちます。契約範囲を超えるサービスを当然のように求める過剰要求、事故後にサービス提供のたびに職員を居残らせ30分から1時間にわたって責任追及を続ける長時間拘束、「お金を払っているのだから」という前提での威圧的言動などです。
家族は契約の当事者でありながら日常のケアの受け手ではないため、施設への不満や不安が言動に出やすい立場にあります。だからこそ、家族の言動については本人とは別に、後述する契約書の条項整備や窓口の一本化で備えておくことが重要になります。
入所系・施設サービスならではのカスハラ対応の難しさ
在宅サービスにはない、入所系・施設サービス特有の難しさがあります。次の5点は、対応方針を考えるうえで必ず踏まえておきたい論点です。
- <生活の場である>:利用者の住まいのため即時退去が難しい
- <他入居者への影響>:同じ空間の他利用者への配慮も必要
- <逃げ場がない>:夜間・休日も接点があり職員が離れにくい
- <家族の継続関与>:面会・電話・メールで関与が続く
- <手続の厳格さ>:退去・解除には正当な理由と手順が要る
在宅・訪問のサービスにも独自の困難がありますが、施設サービスは「24時間の生活の場で、簡単には関係を切れない」点に固有の難しさがあります。だからこそ、その場しのぎではなく、段階を踏んだ組織的な対応設計が欠かせません。さらに、ひとくちに介護施設といっても、種別によって対応上の注意点は異なります。下表で主な施設種別ごとのポイントを整理します。
| 施設種別 | カスハラ対応で特に注意すべき点 |
|---|---|
| 特別養護老人ホーム | 生活の場であり、退去・契約終了の判断は慎重さが必要 |
| 介護老人保健施設 | 在宅復帰・医療連携の観点から医師・相談員との連携が重要 |
| 介護付き有料老人ホーム | 利用契約書・管理規程・身元引受人条項の整備が重要 |
| グループホーム | 認知症ケアとの切り分け、BPSD対応との連動が重要 |
| サービス付き高齢者向け住宅 | 賃貸借契約と生活支援サービス契約との関係整理が必要 |
介護施設のカスハラ対応で踏むべき初動5ステップ

被害が起きた直後の動き方を、5つのステップに分けて整理します。順番に踏むことで、職員を守りながら後の手続にも耐える対応ができます。
ステップ1:被害職員を現場から離し安全を確保する
最初にやるべきは、被害に遭った職員をその場から離し、安全を確保することです。被害を受けた職員にそのまま対応を続けさせると、精神的負担が増すうえ、さらなるハラスメントを誘発しかねません。特にセクハラの場合は、ただちに同性職員へ担当を変更する、または複数名で対応する措置をとります。初動の場面で現場が確認すべきポイントは次のとおりです。
- 被害職員をその場から離せているか
- 1人で対応させていないか(複数名・同性配置)
- けがや危険物がないか、安全は確保されたか
- 管理者・本部へ第一報を入れたか
- その場で謝罪・約束をさせていないか
ステップ2:管理者・法人本部に共有し対応窓口を一本化する
次に、事案を管理者・法人本部に共有し、組織として対応する体制に切り替えます。職員が一人で抱え込まないようにすることが目的です。あわせて、利用者・家族とのやり取りの窓口を一本化します。複数の職員がそれぞれ応対すると、回答がぶれて「あの職員はやると言った」といった付け入る隙を生むためです。誰が窓口になり、どの範囲まで回答するかを決め、現場には「窓口に確認します」と引き取らせる運用を徹底します。
ステップ3:事実関係を記録し証拠として残す
その後の警告や契約解除、行政・司法対応のすべての土台になるのが記録です。記録は、転倒などの事故報告書とは別の専用様式で残すのが実務上のポイントです。後から経緯を立証できるよう、客観的な事実を時系列で残します。最低限、次の項目を1枚のシートにして常備しておきましょう。
| 項目 | 記録内容 |
|---|---|
| 発生日時 | ○月○日 ○時○分(開始・終了) |
| 発生場所 | 居室/浴室/玄関/食堂など |
| 当事者 | 誰が・誰に対して(行為者と被害職員) |
| 言動の内容 | 発言・行動をできるだけ原文で記録 |
| 状況・経緯 | 前後のやり取り・目撃者の有無 |
| 施設の対応 | その場でどう対応したか |
より詳しい対応フローや記録様式を一から整備する場合は、カスハラ対応マニュアルの作り方で、記録項目やエスカレーション表の作成手順を確認できます。
ステップ4:利用者・家族へ警告し再発防止策を示す
記録を踏まえ、利用者・家族へ警告し、再発防止策を示します。ここでいきなり弁護士・行政・警察に飛ぶのではなく、まずは中間的な対応を尽くすのが現場の実務です。具体的には、施設長による家族面談、口頭・書面での警告、担当者の変更、複数名対応への切り替え、面会や連絡のルール変更などです。これらを記録に残しながら段階的に進めることで、状況が改善しなかった場合に、後述の契約解除を正当化する積み重ねにもなります。
ステップ5:改善しない場合は行政・弁護士・警察と連携する
警告や運用上の工夫を尽くしても改善しない場合、外部との連携に進みます。暴力や脅迫など刑事事件に該当しうる行為であれば警察への被害届を検討します。法的な対応や契約解除を見据える段階では弁護士に相談し、サービス提供の継続が困難なケースでは行政(保険者)とも情報共有します。早い段階で弁護士が施設側の立場で毅然と対応することを示すと、相手が事の重大性を認識し、問題行動が収まることも少なくありません。
介護施設のカスハラ対応で契約解除・退去を進める方法

悪質なケースでは契約解除・退去も選択肢になりますが、手順を誤ると逆に施設側が不利になります。段階的対応・正当な理由・手順・裁判例の順に確認します。
契約解除の前に担当変更・面会制限・窓口一本化を検討する
「カスハラがあった=すぐ退去」ではありません。介護サービスの契約解除には正当な理由が必要であり、その判断では、ハラスメントの重大性・再発可能性・解除以外の防止策の有無・解除による利用者の不利益などが総合的に考慮されます。そのため、解除に踏み切る前に、解除以外でとり得る手段を尽くしておくことが重要です。
- <担当変更>:特定職員への攻撃なら担当者を交代する
- <面会制限>:面会・連絡の時間や方法にルールを設ける
- <窓口一本化>:家族対応の窓口を施設側で一本化する
解除には明確な警告と改善要請を重ねる手順が必要になる
契約解除を有効に進める基本の流れは「警告 → 改善なし → 解除」です。利用者・家族に対して問題行為を明確に指摘し、改善を求める警告を行い、それでも繰り返される場合に解除へ進みます。書面で警告した事実を残しておくことが、後の手続で大きな意味を持ちます。下記は、家族あての警告文として実務で用いられる文例です(自施設の状況に合わせて調整してください)。
家族への警告文例
〇〇様 いつも当施設のサービスにご理解をいただき、ありがとうございます。〇月〇日、当施設職員に対し、〇〇という言動がございました。当該言動は、職員の就業環境を著しく害するものであり、看過できないものと判断しております。今後、同様の言動が続く場合には、ご利用契約の継続が困難となり、契約の解除を検討せざるを得ません。利用者様に必要なケアを継続して提供するためにも、何卒ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
契約解除が認められた裁判例と認められなかった裁判例
実際の裁判例を見ると、解除が認められるかどうかは「問題行為の重大性」と「施設側が適切な手順を踏んだか」で分かれることがわかります。代表的な3例を、事案の概要・問題行為・施設の対応・裁判所の判断・学ぶべき点の順に整理します。
【解除が認められた例】東京地裁 平成27年8月6日
- 事案の概要:訪問介護契約の解除をめぐり、解除された元利用者の家族側が事業者側の責任を主張した
- 問題になった行為:サービス範囲を超える指示の反復、従わない職員への怒鳴り、利用者の自宅から帰ろうとする職員への塩の投げつけ
- 事業者側の対応:区の介護保険課とも相談し、代替の訪問介護事業者を紹介する段取りを整えたうえで契約を解除した
- 裁判所の判断:従前から信頼関係が損なわれつつあった経過に照らせばサービス継続は困難であり、契約解除は正当と判断
- 学ぶべき点:暴力行為に加え、それまでの経緯の積み重ねと関係機関との事前協議が、解除の正当性を支える
※施設サービスそのものの裁判例ではありませんが、利用者家族による暴力・威圧的言動を理由とする契約解除の判断枠組みとして、施設でも参考になります。
【解除が認められなかった例】大阪地裁堺支部 平成26年5月8日
- 事案の概要:障害者短期入所の利用者が、施設からの契約解除は無効だと主張した
- 問題になった行為:他利用者から負傷した後、利用日を限定する通告に対し父親が机を叩いて強い口調で抗議した
- 施設側の対応:抗議に驚いた施設長が、その場で感情的に契約解除を決定し通知した
- 裁判所の判断:約12年に及ぶ契約を事前協議なく一方的に打ち切ったもので、重大な背信行為とまでは評価できず、解除は無効
- 学ぶべき点:その場の感情で即時解除すると無効になりやすい。事前協議と手順が不可欠
【違約金条項が有効とされた例】東京地裁 令和3年7月8日
- 事案の概要:老人ホーム入居者の娘の暴言等を理由に解除した施設が、解除後の利用料等を請求した
- 問題になった行為:職員への暴言・脅迫・侮辱・威圧的態度の反復、解除後の退去拒否
- 施設側の対応:注意文書を4回送付し、改善されないため契約を解除。利用契約書に家族等の禁止事項・違約金条項を整備していた
- 裁判所の判断:継続的な問題行為と契約違反を認定し、解除と違約金条項を有効と判断、計1,200万円超の支払いを命じた
- 学ぶべき点:家族の行為まで禁止事項・違約金条項に定めた契約書の整備が、施設側の主張を支える
3例を対比すると、解除を有効にするには「契約書の事前整備」と「警告・協議の手順」の2つが鍵だとわかります。なお、より確実に解除を進めるには、利用契約書に利用者本人だけでなく家族の行為も解除事由・違約金条項として定めておくことが有効です。
介護施設のカスハラ対応に求められる体制づくりと義務化対応
2026年10月1日施行の改正労働施策総合推進法により、カスハラ防止措置は事業主の雇用管理上の義務となります。対象は職員を1人でも雇用するすべての事業主で、規模による適用猶予はありません。制度の全体像や企業が整えるべき措置は、カスハラ対策義務化で企業がやるべき措置でも詳しく解説しています。違反した場合には、報告の請求、助言・指導、勧告、公表等の行政対応の対象となる可能性があるため、施設の実務書類に落とし込む準備が必要です。なお、講ずべき措置の具体的内容は、2026年2月26日に告示されたカスハラ防止指針(令和8年厚生労働省告示第51号)で示されており、方針の明確化・相談体制の整備・事案への適切な対応・相談者への不利益取扱いの禁止が柱とされています(制度の概要は政府広報オンラインの解説もわかりやすく参考になります)。
カスハラを許さない方針を職員・利用者・家族に周知する
まず必要なのは「カスタマーハラスメントは許さない」という施設としての基本方針を決定し、職員に共有することです。あわせて、利用者・家族に対しても、この姿勢を明確に示します。館内ポスターの掲示は、毅然とした姿勢を伝えるとともに、職員にとって「守られている」という安心感にもつながります。下記はポスターの文例です。
施設内ポスターの文例
当施設は、ご利用者様に安心して生活していただくため、また職員が安全に働けるよう、職員への暴力・暴言・セクシュアルハラスメント等の迷惑行為には、毅然として対応いたします。皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。
社内向けの方針文やホームページ掲載用の文章を作る場合は、カスハラ社内方針の例文をもとに、介護施設向けに文言を調整すると作成しやすくなります。
対応マニュアルの作成と職員研修を整備する
方針を実際の行動につなげるには、未然防止と発生時対応の両面をカバーするマニュアルの作成・共有が欠かせません。重要事項の説明方法などの予防策と、被害発生時の初動フローの両方を文書化します。あわせて、職員一人ひとりがカスハラの知識と対応方法を身につけられるよう、定期的な研修を実施します。厚生労働省が公開する「管理者向け/職員向け研修のための手引き」やチェックシートは、そのまま研修に活用できる素材として有用です。研修で扱うべき主なテーマは次のとおりです。
- カスハラの定義とBPSD・正当な苦情との区別
- 初動5ステップと記録の取り方
- セクハラ・暴力への具体的な対処
- 相談窓口の使い方と報告の重要性
- 契約・重要事項説明での予防のポイント
外部研修の導入を検討する場合は、カスハラ研修おすすめ7選で、医療・介護向けに重視すべき研修内容も比較できます。
職員が安心して相談できる窓口を設置する
職員が一人で抱え込まないよう、相談窓口を設置することは、指針でも求められる重要な措置です。相談の受付担当者や、相談を受けた後の対応フローを明確にし、誰に・どう相談すればよいかを職員が迷わない状態にします。介護現場では、夜勤・入浴介助・送迎など職員が一人になりやすい場面があるため、こうした場面でも相談・報告ができるルートを用意しておくことが大切です。施設長との定期面談など、相談しやすい場を継続的に設けることも有効です。
重要事項説明書・利用契約書・ポスターで未然に防ぐ
未然防止の要は、契約書類への落とし込みです。重要事項説明書でサービス範囲を明示し、誤解から生じる過剰要求を防ぎます。利用契約書には、利用者本人だけでなく家族等の禁止行為と、それに違反した場合の解除事由・違約金条項を定めておきます。入居時の説明で家族にも周知し、館内ポスターやホームページでも方針を公表することで、抑止効果が高まります。下記は書類への記載例です(実際の整備は弁護士の確認のうえ行うことを推奨します)。
重要事項説明書の記載例
当施設が提供するサービスの範囲は本書面に定めるとおりです。範囲を超えるご要望にはお応えできない場合があります。また、職員に対する暴力・暴言・セクシュアルハラスメント等の迷惑行為があった場合、サービスの提供を継続できず、ご利用契約を解除することがあります。
※より詳しい記載例は、東京都福祉局が公開する重要事項説明書の記載例が参考になります。
利用契約書の条項例(禁止事項・解除事由・違約金)
(禁止事項)利用者、身元引受人および家族その他の関係者は、当施設の職員または他の利用者に対し、暴力・暴言・脅迫・威圧的言動・セクシュアルハラスメントその他職員の就業環境を害する行為を行ってはならない。
(解除)前項に違反する行為があり、施設の警告後も改善されない場合、施設は本契約を解除することができる。
(違約金)契約解除後、正当な理由なく退去しない場合、利用者は所定の利用料相当額を支払うものとする。
※なお、違約金条項は金額や算定方法が過大だと無効と判断される可能性があるため、実際に導入する際は、施設の利用料体系・退去までに発生する実費・消費者契約法(特に第9条・第10条)との関係を踏まえて、弁護士に確認することが重要です。前述の令和3年7月8日判決でも、解除の有効性に加え、契約条項と消費者契約法との関係が争点となりました。
こうした体制整備は、改正法への対応であると同時に、労働契約法上の安全配慮義務に応えるものでもあります。カスハラを放置して職員が精神疾患を発症した場合、施設側が安全配慮義務違反として損害賠償を問われるリスクがある点も、あわせて押さえておく必要があります。
介護施設のカスハラ対応をすぐ始めるためのチェックリストと相談先
ここまでの内容を、施設長がすぐ着手できる形に落とし込みます。自施設の準備状況の確認と、いざというときの連携先の整理に活用してください。
施設長が今日から着手するカスハラ対応チェックリスト
義務化に向けて整えるべき項目を一覧にしました。未着手の項目から優先的に進めると、抜け漏れなく体制を構築できます。
- ☐ カスハラ対応の基本方針を作成・周知した
- ☐ 職員向けの相談窓口と担当者を決めた
- ☐ 夜勤・入浴介助・送迎時の報告ルールを決めた
- ☐ 事故報告書とは別のカスハラ記録シートを用意した
- ☐ 重要事項説明書にサービス範囲を明記した
- ☐ 利用契約書に禁止行為・解除条項・違約金条項を入れた
- ☐ 家族への警告文のひな型を用意した
- ☐ 職員研修を実施した(手引き・チェックシートを活用)
- ☐ 行政・弁護士・警察への連携基準を決めた
困ったときに連携できる相談先一覧
「行政・弁護士・警察」と一括りにせず、状況に応じて適切な相談先を選べるようにしておくと、初動が早くなります。主な連携先は次のとおりです。
- <保険者>:市区町村の介護保険担当課(サービス提供困難事例の相談)
- <指定権者>:都道府県または市区町村(運営面の確認)
- <地域包括支援センター>:地域の関係者との連携窓口
- <弁護士>:顧問弁護士・介護法務に詳しい弁護士(警告・契約解除)
- <警察>:暴力・脅迫など刑事事件に該当しうる場合
- <産業医等>:被害職員のメンタルヘルス相談(厚生労働省ハラスメント悩み相談室の資料も活用可)
- <自治体窓口>:条例に基づくカスハラ相談窓口(設置自治体の場合)
あわせて、厚生労働省は介護現場向けに「介護現場におけるハラスメント対策マニュアル」「管理者向け・職員向け研修のための手引き」「職員向けチェックシート」「相談シート」「事例集」を公式サイトで公開しています。マニュアル類は無料で活用でき、研修や様式づくりの土台になりますので、自施設の整備状況に応じて参照してください。
介護施設のカスハラ対応に関するよくある質問
施設長・管理者から特に多く寄せられる5つの疑問に、要点を絞って回答します。個別の法的判断が必要な場合は、弁護士など専門家への相談をおすすめします。
介護施設でカスハラが起きたら最初に何をすべきですか?
まず被害職員を現場から離し、安全を確保することが最優先です。その場で職員個人に謝罪や約束をさせず、「施設として確認のうえ回答します」と引き取り、管理者・法人本部に共有して組織対応へ切り替えます。具体的な流れは「初動5ステップ」を参照してください。
認知症の利用者による暴言や暴力もカスハラになりますか?
認知症のBPSDによる言動は、通常のカスハラと同じ枠組みで一律に扱うのではなく、医療的ケアやケアプランの見直しとあわせて対応します。ただし、原因が病気であっても職員の安全確保・記録・担当変更・複数名対応は必要です。判断に迷う場合はかかりつけ医やケアマネジャーの意見も確認します。
家族からのカスハラを理由に契約解除できますか?
繰り返される悪質なケースでは契約解除も可能ですが、正当な理由と手順が必要です。原則として「警告 → 改善なし → 解除」の段階を踏み、書面での警告を残しておくことが重要です。利用契約書に家族等の行為も解除事由・違約金条項として定めておくと、より確実に進められます。
カスハラ対策義務化で介護施設が準備すべきことは何ですか?
2026年10月1日施行の改正労働施策総合推進法で、防止措置が事業主の義務となります。方針の明確化と周知、相談窓口の設置、対応マニュアルと研修の整備、重要事項説明書・利用契約書への落とし込みが基本です。指針(令和8年厚労省告示第51号)の4つの柱に沿って進めましょう。法令・指針の全体像は厚生労働省「職場におけるハラスメントの防止のために」で確認できます。
職員がカスハラでメンタル不調になった場合、施設に責任はありますか?
施設は労働契約法上の安全配慮義務を負っており、カスハラ被害を放置して職員が精神疾患を発症した場合、安全配慮義務違反として損害賠償を問われるリスクがあります。だからこそ、組織的な対応体制と相談窓口の整備が、職員保護と施設のリスク管理の両面で重要になります。
まとめ:介護施設のカスハラ対応は職員を守る体制づくりから始める
介護施設のカスハラ対応は、完璧なマニュアルがなくても始められます。大切なのは、正当な苦情やBPSDによる言動はていねいに受け止めつつ、社会通念を超えた言動には施設として組織的に対応するという線引きです。2026年10月には全事業主に対策が義務付けられますが、身構える必要はありません。まずは「カスハラを許さない方針を一行で明文化する」「初動5ステップと記録シートを用意する」「重要事項説明書・利用契約書に落とし込む」——この3点から着手しましょう。職員を守る体制づくりは、離職防止と人材定着に直結し、結果として質の高い介護の継続を支えます。判断に迷う場面や、契約解除・法的対応が必要な場面では、早めに弁護士など専門家へ相談しましょう。
参考情報・編集部注記
編集部注記
本記事では、公的情報に基づく解説に加え、カスハラ対策実務ガイド編集部が介護施設の現場向けに、判断軸・初動5ステップ・文例・記録シートとして再整理しています。個別事案の法的判断や、契約書・違約金条項の整備については、弁護士・社会保険労務士等の専門家にご相談ください。掲載した裁判例は公開情報をもとに要点を整理したものであり、実際の運用にあたっては最新の判例・指針もご確認ください。
本記事は、以下の公的情報をもとに作成しています。
カスハラ対策実務ガイド 
